西尾隆矢 engine

街クラブ出身の少年が
受けた衝撃。

セレッソ大阪DF西尾隆矢、
プロの今も心にある
アカデミー時代の教え

小学生時代はサッカーと野球。
セレッソの練習はレベルが違い過ぎた

同世代より「頭一つ抜けるぐらいのデカさもあった」少年は、野球ではなくサッカーを選んだ。わりとあった自信は、プロクラブの練習参加で無惨に砕け散る。「衝撃」から始まったセレッソアカデミーの日々。現在21歳、パリ五輪世代の主軸である西尾隆矢。10代でトップチームデビューを果たして2シーズン目の今季、躍進する桜の最終ラインを統率する。

「セレッソ大阪、アカデミーの力」。新シリーズ第2回は、西尾隆矢にフォーカスする。アカデミー時代の経験、指導者、先輩・瀬古歩夢との関係性。そして、自身の将来像について語る。

PROFILE

西尾隆矢 Ryuya Nishio セレッソ大阪

2001年5月16日生まれ。大阪府八尾市出身。ポジションはDF。身長180cm。U-15よりセレッソアカデミーで育ち、2018年3月、17歳の時にセレッソ大阪U-23でJリーグデビューを果たす。2020年トップチームに昇格し、翌21年のリーグ開幕戦でJ1デビュー。U-15から年代別代表に選出され続け、今年1月には日本代表候補合宿にも参加した、アカデミー出身の若き逸材。

セレッソ大阪のアカデミーを選んだ理由を教えてください。
小学校6年生までは街クラブ(FCグラシオン)でサッカーをしながら野球もやっていました。「中学ではサッカーをしよう」と思っていた時にセレッソ大阪U-15に練習参加することになったんです。当時はセレッソ大阪を認知していなかったので、ふわっと行ったんですけど、行ったらレベルが違い過ぎて…(苦笑)。その驚きは今でも覚えています。
一つ上の学年に(瀬古)歩夢選手(グラスホッパー)、鈴木冬一選手(ローザンヌ)、石尾崚雅選手(徳島ヴォルティス)がいてすごかった。一番印象に残っているのは鈴木冬一選手なんですが、まず、ブチギレられたんですよ(苦笑)。(自分は)練習生で何をしたらいいかも分からないのに、ボールを取りに行くのが遅くてめちゃくちゃキレられました。そこでそれでしょぼんとなるんじゃなくて「こんなとこでうまくなったら楽しいやろうな」みたいに思ったんです。結構ふてくされるタイプだったのに、逆にめちゃくちゃスイッチが入って。それに、「こんなレベルの高いところでプレーしたら楽しいやろうな」みたいな思いもありました。この練習参加のあと、ありがたいことにお声がかかって加入が決まりました。
U-15からU-18時代に印象に残っていることはありますか?
分岐点のまず一つは中2の時です。一つ上、中3のカテゴリーで練習させてもらえるようになったんです。先ほど話した歩夢さんや鈴木冬一さんの代です。同期の吉馴空矢選手(FC大阪)が右サイドバックで出ていたんですけどケガをして、その代わりに僕が入りました。
そこで、また鈴木冬一選手が出てくるんです。僕の一つ前のポジション(右ウイング)にいる鈴木冬一選手が(笑)。ここでもまた練習中にブチギレられた。でも、そのあとからよく話すようになりました。最後はイジったり、言い返すことができるようになったのですが、最初はただただ怖かったです(笑)。一つ上の代はほぼ全員怖かった。ヒナさん(喜田陽)は、めちゃくちゃ優しかったですが、「黄金世代」と言われるくらい強い世代だったので。彼らに揉まれたあの1年のおかげで初めて年代別代表にも呼ばれるようになりましたし、U-18昇格にもつながったと思います。
やはりC大阪のアカデミーのレベルは高かったですか?
高かったですね。正直、街クラブではFWもしていたし、CBもしていましたけど、技術うんぬんではなく、体の強さ、パワーとスピードで勝てたところがあったので。サッカーがただただ楽し過ぎた。小学校の時代はそうやったんですけど、中学生になったら、「え、何も通用しないやん」みたいな(苦笑)。それこそ練習生で行った時に「何かしらできるやろ」みたいな感じで行ったんですけど、何もできなくて歯が立たなくて。「相当ヤバいな」と危機感を持ちました。それで火がついたところはあるんです。とにかく最初の印象は衝撃的でした。
U-18時代の思い出は?
一番の挫折というか、高1で大きなケガをしました。腰の分離症で、3~4カ月ぐらいサッカーができない時期があって、考え方も変わりました。体のことを見つめ直して筋トレもするようになり、今の体の土台が作られたと思います。
もう一つの変化は、C大阪U-23に呼ばれるようになったことです。当時、年代別の代表にも選ばれて、自分にも自信がついて「同世代だと負けない」と感じていたんです。でも、U-23チームに行ったら壁というか全然ダメなところがいっぱい出てきた。そこでまた鍛えられました。
U-23チームで初めてJ3の試合に出たのは高2の2018年6月です。J3でプレーし始めたことで、トップチームを明確に意識するようになりましたか?
はい。J3の試合に出られて楽しかったし、「ここでもっとプレーしたい」と思いました。さらにその上は「どんな世界なんだろう?」とも。目標であるプロをより明確に感じられました。高3ではほとんどU-23でプレーしました。ディフェンスラインが全員U-18の選手だったこともありますね。苦しいシーズンを送ったのですが、高3であの経験ができたことは、今の自分にもいい経験になっています。
C大阪U-23の試合では大敗する試合もありました。
僕らはうまいわけでもないし、がむしゃらに守ることしかできなかったので。U-18の4人で、助け合いながらやっていました。自分らがミスして負けたら、トップチームのプロの選手たちにも申し訳ない。意地でも守らないと、とやっていました。
中2の時は先輩の、高2ではJ3のレベルの高さを感じました。壁にぶつかった時のメンタルの持ち方が、逃げるのではなく、食らい付くあたりは共通していますね。
楽な方向に行っても楽しくはないので。小学生の時からずっと、街クラブの時にも「逃げるな」と言われてきました。それが染み付いているのだと思います。街クラブの方の指導のおかげだと思います。
食らい付いていけば、だんだんそのレベルに達していくと。
慣れなのか分からないですが、スピード感も、ふと気付いたらついていけるようになっていたりします。J1に初めて出た時も、「まだまだスピード感についていけてない」と思っていたのですが、試合を重ねるごとにどんどん目も慣れていきました。何回も何回もトライし続けることが大事だと思います。

「真面目に、謙虚に、泥臭く」
追いかけ続ける、一つ上の先輩の存在

「足元、めっちゃ苦手だった」と語る西尾は、アカデミーで技術を磨くと同時に、人として大切なことも学んだという。そのときはいやいややっていることでも、大人になって気づくこともある。厳しかった指導者、そして一つ上の先輩の存在。それらは西尾にどんな影響を与えているのか。

アカデミーの6年間の中で、影響を受けた指導者はいますか?
ほとんどの指導者との思い出がありますね。中1だったら、金(晃正)コーチに基礎を教わり、サッカーの土台を叩き込まれました。めちゃくちゃ怖かったですし、走りの量も多かった。そのおかげで今、プロとしてJ1でサッカーができていると思います。
中2、中3では、(大畑)開監督にメンタルのこと、人間性、人としてのあり方を教わりました。「真面目に、謙虚に、泥臭く」という3原則はこの頃からずっと言われていて。当たり前のことですが、それって結構、難しくて。サッカー面ももちろんですが、人間性のところ、ゴミを拾うとか、そんなことを教えてもらいました。今もそれが当たり前のように染み付いていますし、本当にありがたかったです。
U-18に上がってからは、村田(一弘)さんとの出会いが大きかったです。本当にパワフルで、マンツーマンで指導してもらうこともあって、DFとしての技術を一番教えてもらいました。村田さんもCBだったので、個人戦術も叩き込まれて、「一人で守れるぐらいの意志を持て」と言われていました。
あと、「同年代だったら誰にでも勝てる」と過信していた時期に、それを見抜かれて怒られました。「そこで満足するな! おまえが目指すところはどこなんだ?」と強く言われて。今でも鮮明に覚えています。自分のアピールポイントの体の強さでも、「現状に満足するのではなく、どんどん練習してパワーをつけろ」と。めちゃくちゃ厳しかったですけど、村田さんが言うとスッと入ってきたんです。U-23でもコーチや監督として指導してもらうこともありましたし、本当にお世話になりました。
瀬古歩夢選手はどういう存在ですか?
最初の印象は怖い、です。「同じポジションでこんなすごい選手がいるの?」とも思いました。年代別代表でも先頭に立っていたし憧れでした。追い越さないといけないんですけど、それよりも憧れが勝って。「ああいう選手になりたい」という目標でした。
自分がU-18に上がっても、どんどん先に行って歩夢さんはU-23に出ている。自分もそこを目標にやっていたので、U-23に呼ばれた時は嬉しかった。そこでやっと追いついたと思ったらもういない。プロとしてトップチームに行っていました。もう全然、追いつかないなって。自分は歩夢さんの存在があったからこそ、切磋琢磨というか、そこに追いつこうという向上心も生まれました。だから、J1で初めてCBで組んだ時は、本当に感動しました。嬉しくて(笑)。
2021年の開幕戦ですね。
歩夢さんも「おまえと組むとは思わんかったわ」って(笑)。中学生の時は歩夢さんがCBで自分は右SBで一緒に試合に出ていたんですけど、正直、レベルの差は明らかでした。そこから数年経って、セレッソのトップチームで2つしかないポジションを2人で取って、J1の試合に出られたというのは、めちゃくちゃ嬉しかったです。ちょっとでも追いついてきたのかなというのはあったし、その前ぐらいから、「歩夢を抜く」という意識に変わっていきました。
憧れからライバルになっていった。
もちろん今でも尊敬していますし憧れですが、いつまでも憧れで終わってはいけないので。自分もちょっとずつ自信がついてきましたし、負けていないと思うところもある。追いつくだけではなく、追い抜くぐらいの気持ちを持たないといけない。歩夢さんと喋った時、「俺も頑張らなアカンわ」みたいな感じで言ってくれて嬉しかった。少しは意識してくれているのかなと。

頑張ればいろんな人に影響を与えられる
頑張ればそこまで行ける

強烈な先輩たちに揉まれることで、経験を積んできた。プロとしてプレーする今、今度は後輩たちへ伝えたいことがある。改めて振り返るアカデミーの力。今になって気づいたこと、伝えたいこと、そして自身の将来像を最後に聞いた。

改めて、西尾選手の原動力になっていることは何でしょうか?
サッカーで表現するのはもちろんですけど、さっき言ったように、人間性の部分で、「真面目に、謙虚に、泥臭く」サッカーをして、いろんな人に勇気を与えられる選手になりたい思いはあります。「西尾選手が頑張っていたので、勇気が出ました」というメッセージをいただけるようになって、そういう人が少なからずいる以上、中途半端にやることは絶対にできない。もっともっと頑張らないといけない。お世話になった人たち、親もそうですし、アカデミーのスタッフ、地元の人たち…僕を応援してくれる人が最近めちゃくちゃ増えてそれは原動力です。
「頑張れば、いろんな人に影響を与えられるんだ」というのはJ1に出てすごく実感しました。自分のためだけではなく、いろんな人のためにもやっていかないといけない。その気持ちが今の原動力になっています。
6年間を過ごしたセレッソ大阪のアカデミーは、どういう存在でしたか?
当時は、めちゃくちゃキツい部分もありましたけど、キツいからこそ、うまくもなりますし。まず、環境が良過ぎます。中学生から天然芝が使えて、こんなすごい環境もないと思います。ここまで環境を揃えてもらったら、僕たちも頑張らないといけない。周りの人にサポートしていただいていることを感じるのも大事ですし、そういう環境があるからこそ自分の成長にもつながります。
アカデミーからプロになっていく選手を間近で見られることも良さだと思います。憧れや目標も持ちやすくなる。僕らがもっと頑張って、アカデミーの選手がどんどん出てくることが、セレッソへの恩返しにもなるんだと思います。
プロを目指すアカデミーの子どもたちに、アカデミー出身者として何を見せたい、残したいですか?
素晴らしい環境にいたということは、プロになってすごく感じたことなので、まずそれを伝えたいです。また、僕だけではなく、アカデミー出身選手が活躍すれば夢を与えられると思います。今のアカデミーの選手たちも、「自分も頑張ればそこまで行ける」という自信につながってくれれば、僕たちは嬉しいです。
僕らが活躍することによってセレッソへの恩返しにもなる。僕たちはサッカーで表現するしかないので、目に見えるような結果を出して、よい影響が与えられたらいいなと思います。
プロを目指す上で、アドバイスはありますか?
サッカーのアドバイスはできないですけど、モットーとしては、真面目に、謙虚に、人のことよりも自分に常に矢印を向けてやってきました。サッカーだけじゃなくて、私生活、どんなことでも客観視して自分の行動が合っているのかをちゃんと見つめ直せるようになれば、自ずとチャンスが転がってくると思います。自分にベクトルを向けながら、サッカーもそうですし、私生活もやっていってほしいなと思います。
最後の質問です。今後のサッカー人生をどうしていきたいですか?
まずは、セレッソでタイトルを獲ること。そこは一番考えていることです。個人としてのステップアップより、チームがタイトルを獲ることに力を注いで、歴史的瞬間であるJ1優勝の瞬間に立ち会えたらいいなと思います。今、一番の目標はそこです。
もちろん、日本代表、パリ五輪というのも、セレッソで結果を残せばチャンスが出てくると思うので、そこも意識しながらやっていきたいです。今は海外(移籍)にあまり気持ちはないんですけど、今後いろいろ経験させてもらえれば、気持ちの変化もあると思うので、チャレンジできればいいなと思います。
まずは、本当にタイトルを獲りたい。そこが一番です。何よりもタイトル、本当に獲りたいです。セレッソで獲って、恩返し、目に見える恩返しをセレッソでしたいですね。
CHAPTER #2

セレッソ大阪、アカデミーの力

未来への engine

「世界に通用する選手の育成」を掲げたセレッソ大阪アカデミー。
セレッソ大阪から世界へ。
「未来に美しい花をたくさん咲かせたい」、
そんな未来への原動力に迫る。

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CHAPTER #1

アスリートたちの engine

なぜ、トップアスリートは挑戦し続けるのか。
戦い続けるトップアスリートの原動力に迫る。

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