舩木翔・
山田寛人・
喜田陽 
engine

「原動力はセレッソへの愛」
舩木翔、山田寛人、喜田陽、アカデミー時代に培った財産を糧に、さらなる成長を目指す

喜田はGKをやっていた?
1学年ずつ違う先輩後輩

セレッソ大阪のトップチームには現在、アカデミー出身のホームグロウン選手が7名登録されている。シリーズ企画「セレッソ大阪アカデミーの力」。今回はその中から、舩木翔、山田寛人、喜田陽の3選手にフォーカスする。

学年では舩木、山田、喜田の順でそれぞれ1学年違い、24歳の舩木が一番年上となる。「いい意味で上下関係のない」(舩木)アカデミーで育ち、全員が他クラブへの育成型期限付き移籍を経験した。現在は定位置を獲得すべく、トップチームで奮闘する。そんな3人がアカデミー時代に学んだこと、自身の現在地の確認と目指すものについて語り合った。

取材日:2022年10月15日

PROFILE

舩木 翔 KAKERU FUNAKI セレッソ大阪

1998年4月13日生まれ、24歳奈良県出身。身長177cm体重65kg。セレッソ大阪U-12→C大阪U-15→C大阪U-18を経て17年トップ昇格。20年磐田、21年相模原に期限付き移籍し、今季復帰。精度の高い左足と運動量を誇る左利きの左サイドバック。今季はセンターバックとしてもプレーする。

山田 寛人 HIROTO YAMADA セレッソ大阪

2000年3月7日生まれ。愛知県出身。身長183cm体重76kg。愛知FC→ホペイロ刈谷→C大阪U-18を経て18年トップ昇格。19年琉球、20年仙台に期限付き移籍し、21年復帰。ポストプレー、裏抜け、ゴールへの嗅覚といったFWとしての能力を兼ね備えるストライカー。

喜田 陽 HINATA KIDA セレッソ大阪

2000年7月4日生まれ。大阪府出身。身長171cm体重59kg。セレッソ大阪U-12→C大阪U-15→C大阪U-18。ユース所属時高3の18年8月にプロ契約。19年福岡に期限付き移籍、20年復帰。確かな足元の技術とビルドアップ能力を持つボランチ。チーム事情でサイドバックもこなす。

向かって左から山田、舩木、喜田

舩木 翔
まずは、サッカーを始めた理由を聞かせてください。
舩木:父の勧めです。家族旅行の先で松ぼっくりを左足で蹴っていたら、「サッカーに生かせるのではないか」と(笑)。
山田:小学校が同じ幼稚園から上がった子どもたちばかりの集まりで。僕だけ違う保育園から来たので友達ができるか親が心配だったらしく、みんなが入っているサッカーチームに入りました。友達作りですね。
喜田:友達に誘われて幼稚園の年中から始めて、家の近くにセレッソのスクールができたので、入りました。
舩木選手も喜田選手と同じくスクールからC大阪ですが、初対面を覚えていますか?
舩木:僕が小6でヒナタ(喜田)が小4の時、合宿で同部屋になったこともありました。でもあまり記憶に残っていません。というか僕の中のヒナタはGKです(笑)。
喜田:上の学年にGKがいなかったのでやっていました。
舩木:当時は学年ごとに活動していたので関わりはあまりなく、あのGKの子が(年代別)代表に入っている」って思っていました(笑)。
山田選手は、U-18からですよね?
山田:はい。中学時代のクラブのスタッフと大熊さん(大熊裕司監督)が大学時代のつながりで、練習参加できることになりました。多分、カケ(舩木)もいたと思いますが、あまり覚えていません。印象に残っているのは、練習の最後の走りです。全然ついていけなくて。落ちたと思ったんですけど、呼んでもらえて良かったです。
僕はわりと最初からAチームでやらせてもらえましたが1年の時はあまり先輩と関わることは少なかったですね。僕が2年になって、カケが3年になったタイミングで話すことが多くなったと思います。ヒナ(喜田)とは、まだヒナが中3の時に(年代別)代表で初めて一緒になって、(遠征先に向かう)新幹線で会ったのが最初です。アユム(瀬古歩夢/現グラスホッパー)とトイチ(鈴木冬一/現ローザンヌ)も含め、代表活動で関わることが多かったイメージがあります。

恵まれた環境の中で
すべての基礎を作ってもらった

アカデミー時代の思い出は「走り」と全員が苦笑する。とにかく厳しかったようで、キツさのあまり「メンタルのほうが鍛えられた」(喜田)という。「もともと体力はあったけど、さらに走れるようになった」と舩木が振り返るように、育成年代に培った体作りはプロになった今も役立っている。

さらに成長期には、体力面に加え印象的な指導者と出会うことで、選手としての心構えや、プレーの幅も広がっていく。

喜田 陽
アカデミー時代に影響を受けた指導者はいますか?
喜田:金コーチですね。晃正(テルマサ)さんです。中学1年で(U-15に)入った時からU-18に上がるための基礎、メンタルや体作りをしっかりしてもらいました。ポジションもサイドバックからボランチにしてもらい、そこから代表にも入っていけたので、すごく影響を受けました。
山田:僕はU-18の時に指導してもらった大熊さんと村田(一弘)さんです。村田さんに見てもらうほうが長かったので、厳しいことも言われましたが、教えてもらって良かったです。
舩木:小学校の時の大畑開さんと竹花(友也)さんがすごく記憶に残っています。小4では開さん、5年と6年は竹花さんに教えてもらいました、開さんに言われて一番記憶にある言葉が「右足の練習はしなくていい。左足だけを練習して極めろ」です。竹花さんは「サッカーを楽しむことを忘れない」と。練習も楽しかったし、発想力を大事にするような指導でした。二人に教えてもらったことは、今も忘れずにできていると思います。
プロになれたことを含め学んだことは?
喜田:基礎を作ってもらった。それに尽きると思います。
山田:僕は高校からですが、環境が素晴らしかった。トップチームが隣で練習していましたし、U-23チームでもプレーできたので、トップに上がっても馴染みやすかった。街クラブから来た身としては、一気に環境が変わりプロに向けて身が引き締まりました。プレー面ではヒナも言っていたように、走る部分の土台は大きかったと思います。あと技術面でも強度の高い中で技術を発揮できるように教えてもらったので、そこは今も生きています。
舩木:海外遠征に行かせてもらったことも大きかったですね。高2ではドイツに行って現地のチームと対戦した中で見つかる課題もありました。ドルトムントの試合も見に行きました。ちょうど香川真司選手がプレーしていたころです。そういう場所でプレーしたいという気持ちも高まりました。目標を高く設定できた上で、トップチームに上がれる良さもあると思います。
アカデミー出身者として今のアカデミー生にどういう姿を見せたいですか?
喜田:自分たちも丸橋(祐介)選手たちを見て育ってきました。隣にグラウンドもありますし、ジムもリハビリ施設などはトップの選手と一緒に使わせてもらったりしていました。プロのすごさを間近で見て「こういう人を追い越さないといけないんだ」と気持ちも引き締まります。そういう存在になれるように、背中を見てもらえる立場になれるように、自分ももっと試合に出て頑張らないといけないと思います。
山田:やはり憧れを持ってほしい気持ちはあります。自分たちが(柿谷)曜一朗選手や(杉本)健勇選手に持っていたような。そのためには、自分たちも頑張らないといけない。憧れと同時に身近にも感じてほしいですし、セレッソのアカデミーで育ったからには、セレッソで活躍してほしい。今も(北野)颯太たちと一緒にやっていますけど、一緒に頑張っていけたらいいなと思います。
舩木:現状はセレッソのアカデミー育ちで、主力としてコンスタントに先発で出ている選手はいません。自分も昔試合を見に行って、その時はアカデミー出身選手が活躍していました。“育成のセレッソ”を途切れさせないように練習から頑張って、後輩たちに「このチームでプロになりたい」と思ってもらえるようにしたい。責任を持って頑張ります。

好調なチームの中で
彼らを突き動かす原動力

舩木が言うように、2022シーズンのチームで確実に定位置を獲得しているアカデミー出身選手はいない。プロである以上、アカデミー出身だからといって、必ずしも試合に出られるわけではないことは誰よりも理解している。

「試合に出場すること」。彼らは何度もその言葉を口にする。今季好調なチームの中で、自身はどのようなモチベーションを持ち、取り組んでいるのか。

山田 寛人
試合経験を積むために、育成型期限付き移籍により他クラブでプレーした時期もありました。
喜田:僕はプロ1年目にアビスパ福岡に行きました。その時は城後(寿)選手や森本(貴幸)選手がいて、練習への準備含めて「一流の選手のすごさ」を学びました。いい一年だったと思います。
山田選手と舩木選手は2クラブを経験しています。
山田:FC琉球は初めての移籍でした。他クラブを知らなかったので、それを知れた部分は良かったと思います。小野伸二選手とやれたことは大きかったし、サトくん(上門知樹)とも一緒にプレーしました。楽しかったですね。仙台ではJ1で試合に出られた経験がとても大きかったです。
舩木:僕はジュビロ磐田とSC相模原です。ジュビロはちょうどコロナ禍が始まったころで食事も外に行ってはダメでテイクアウトしかできなかったり、難しい1年でした。去年の相模原は、セレッソやジュビロに比べたら環境面が違いました。途中から試合にも出られなくなり、その状態でセレッソに戻してもらえたので、「今季は本当に頑張らないといけない」と決意してシーズンをスタートさせました。いろんなことを経験したこの2年は、今の自分の頑張る糧になっています。
舩木選手は復帰した今季、SBに加えてCBもこなし、カップ戦、リーグ戦と貴重な経験を積みましたね。
舩木:個人として本当に幅が広がったと感じています。今のチームはみんながひたむきに「チームのためにやる」ところがいいところだと思うんです。自分のことを犠牲にしてでもチームが良くなるように頑張ろうと思う選手が多い。それがいい方向に向かっていると思います。自分もそういう気持ちでさらに頑張りたいと思います。
山田:僕も、最初は結構何試合か続けて点が取れましたし、スタメンで出る機会が得られました。大事なところで点を決められたのはすごく嬉しかったです。チームとしてはシーズン中に負傷者が出たり、いろいろ入れ替えがあったにもかかわらず、継続してみんながひたむきにチームのためにプレーしました。その結果が今のリーグの順位だったり、天皇杯は負けましたがベスト8でしたし、ルヴァンカップは決勝までいけました。
そんなみなさんのサッカー選手としての原動力は何でしょうか?
山田:自分への期待感です。自分への期待感を常に持っておかないと高いレベルではやっていけないし、うまくならないと思います。その期待感が逆にあり過ぎて悪い方向に行くこともあるんですけど。でもやっぱり「自分ならもっとできる」といった自分の可能性を信じてやっていくことが一番の原動力です。
喜田:憧れてもらえるようなサッカー選手になりたいという気持ちです。自分は憧れていた香川選手が小さい頃にスクールに来てくださって写真を撮ってもらったりしました。そうやって憧れてもらえるようなサッカー選手になりたいです。
舩木:昔からサッカーしかしていないので、サッカーしかできないというところはあるんですけど。自分は本当に幼稚園からセレッソなので、原動力はセレッソへの愛ですね(笑)
山田:うまく締まったな(笑)。
ありがとうございます。では最後にご自身の将来像、目標を教えてください。
山田:みんなに知ってもらうことです。サッカー選手になった以上、無名で終わりたくない思いはあります。大事な試合で点を決めることもそうですし、シーズンを通して結果を残したり、タイトルを獲ったり、印象に残る選手になりたいです。
喜田:将来的には何でもできる選手になりたいのと、「この選手がいれば試合に勝つ」という選手になることが目標です。
舩木:ちょっとヒナと被るんですけど、どこでもできる選手になりたいです。全てのポジションで高いレベルでやれる選手に。それが自分のこれからの目標。あとはやっぱり、セレッソのJ1リーグ優勝ですね。
一同:(拍手)
CHAPTER #2

セレッソ大阪、アカデミーの力

未来への engine

「世界に通用する選手の育成」を掲げたセレッソ大阪アカデミー。
セレッソ大阪から世界へ。
「未来に美しい花をたくさん咲かせたい」、
そんな未来への原動力に迫る。

MORE
CHAPTER #1

アスリートたちの engine

なぜ、トップアスリートは挑戦し続けるのか。
戦い続けるトップアスリートの原動力に迫る。

MORE